シンデレラII & III 戻された時計の針

●シンデレラII
●シンデレラIII 戻された時計の針

監督:
  • ジョン・カフカ(2作目)
  • フランク・ニッセン(3作目)

ねずみのジャックたちは映画1作目のその後にあったお話を絵本にしてシンデレラにプレゼントしようと過去を回想する。「晩餐会の古いしきたり」「義姉アナスタシアの恋物語」「人間になったジャック」の3つのエピソードのオムニバス。(2作目)

魔法の存在を知った継母たちは偶然魔法の杖を手に入れると、時間をガラスの靴の持ち主探しをしていた日に戻し、シンデレラではなくアナスタシアを王子の妃にするように画策する。訳の分からないシンデレラは城に潜り込むが……。(3作目)


ディズニー(主にディズニー・トゥーン・スタジオ)が続編商法をしていた頃のオリジナルビデオアニメ。2002年、2007年作品。



ディズニーの続編ビデオ作品は完結した物語に安易な蛇足を付け加えるものばかり。2007年にはジョン・ラセターがこれら続編作品のクオリティの低さを見て大鉈を振るったことがニュースになりましたが、こうして見てみるとさもありなんです。邦画界で言えばちょっと人気があったドラマを強引に映画化する類いに近い。

(参考)wiki:ディズニー・トゥーン・スタジオ映画作品
(参考)wiki:オリジナルビデオ作品


「○○は幸せに暮らしましたとさ」で終わっている物語から違う作品を作るため、再び冒険させられたり前日譚だったり劇中のサイドストーリーだったり脇役を主人公にしたスピンオフだったりとあの手この手で物語をひねり出す。

本作の場合、2作目は後日談のサイドストーリー(脇役のスピンオフ)で、3作目は再び冒険させられる作り。さすがに前日譚ではシンデレラが虐められるまでの物語にしかならず、劇中のサイドストーリーは実質1日の物語では入れ込む余地がなかったんでしょう。



『シンデレラ2』はシンデレラの続編としての価値はない。

一般人女性が皇室に嫁ぎ、理不尽な古いしきたりを現代的な常識感覚で壊していく物語などシンデレラでやる必要はない。シンデレラは「美形の王子に見初められてお姫さまになる」ことが至上とされる旧来の価値観の中で成立する物語。そこに現代女性の価値観を持ち込んでどうする(現代的リメイクの是非はまた別の話)。残る2本の物語もありふれた物語の主人公役に脇役キャラを当てはめただけに過ぎない。



『シンデレラ3』は同じように価値観をブチ壊しているけれど物語の規模としては続編として成立している。ただし主役であるシンデレラのキャラが間違っている。

時間を戻したことで継母と義理の姉2人以外の人間の記憶は元の時間の状態に戻ってしまうが、シンデレラはそれでも自分が王子と結ばれるべき人間だと思い込む。一応、王子も違和感を抱くなど「感覚的な絆」を盛り込んではいるけれど、シンデレラが妙に能動的なキャラになっていることもあって傲慢な人間に見えてしまう。せめて継母らの記憶が残っているのと同じくシンデレラもうまく魔法の効果が及びきらずに済んだとかなんとかといった展開にして、あくまでも王子との恋を確信した上で行動していればマシになったかもしれない。

またアナザー世界そのままにハッピーエンドで終わることは1作目の正当な物語を破壊してしまっている。魔法の存在が公になったままなのも問題。劇中では「まあいいか」で元に戻さなかったけど、やはり全てをあるべき世界に戻す終わり方をすべきだった。

ちなみにアナスタシアは『2』でパン屋の恋人が出来たのに『3』でまたやさぐれている謎。最後にパン屋とアナスタシアの2人でいる姿が1枚絵で登場するフォローがあるが、となると時間軸は1→3→2なのだろうか。でもそれだと『2』で継母と姉が元の状態に復帰していることがおかしくなる。駄目だこりゃ。



2作目はシンデレラ世界を舞台にしたテレビシリーズとして、3作目はB級のトンデモ映画を楽しむ感覚で見ればそこそこ楽しい。

★★

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