漫画・アニメは誰のものか ~青少年健全育成条例改正案について~
東京都の青少年健全育成条例改正案について。
私は反対派。
とはいえ水戸黄門の印籠のように「表現の自由の侵害」で押し通すつもりはない。
18禁漫画は現行法内できちんと区分販売できるのに、どうしてわざわざ表現の範囲を公権に寄る誰かの主観で決められなければならないのか、と思うからである。
先日の記事でSF映画『華氏451』を挙げたが、果たして都の条例案に賛成する人間はこの映画を見てどう思うだろう。
主人公が妻の友人たちに苛立ち、小説を朗読する場面。
その文言で感情を揺さぶられる者が出ると彼女たちはこう言う。
「人生は小説と違う
涙を誘ったり死を招くなんて
小説は最低!」
「たくさんの言葉が全て下らない
邪悪な言葉は人を傷つけるのよ!」
ここで描かれる異常な世界を現実に作らんとしているのが今回の条例案だ。それでも「映画とは違う。我々は有害なものを排しようとしているのだから間違っていない」とでも言うだろうか。
この場面で披露された小説は別にエログロバイオレンスでもなんでもない。一人の男が弱りゆく妻への想いを綴った内容でしかない。しかし、劇中の人間はそれを拒絶する。なぜなら免疫がないからだ。
同じものを見聞きしても、それを理解する者、理解できない者、拒絶する者、何も感じない者など様々いるのは、それまでに経験し学んだ人生が違うからに他ならない。
世界は玉石混淆。光もあれば闇もある。それを認めた上でその世界で生きる子供を育てるのが親の仕事。漫画・アニメを健全という名の無菌室にしても世界は綺麗にならない、とクサいことも言いたくなる。
「心身共に健やかに育って欲しい」と偉い大人は言うが、ならば当の大人は健全なのか。邪さを備えること(内包すること)が大人になることではないのか。
健全な環境で子供は育つかもしれないが大人には成長しない。
子供は親の目の外で成長する。
言い換えるなら「免疫が付く」のだ。
今回、漫画・アニメだけが標的となって小説や実写は除かれているが、実写に関しては「(AV)業界は自浄作用が働いているから」という理由らしい。だけどそれはクリエイティブな部分ではなく販路の問題が主だと思う。
AV業界は販売・レンタル共に18禁コーナーを隔離することで低年齢の子供が容易に接することができない環境となっている(※中高生は"当人の意思"によりその限りではない)が、漫画・アニメではそれが徹底されていないことが問題と言える。
なので本来であれば「発売元へのレーティング指導」「書店・販売店への販売コーナー区分の指導」へと動くのが妥当なのだが、条例はなぜか表現規制に矛先が向いている。このすり替えに違和感を覚えない人間は正直危うい。
今回の条例案に諸手を上げて賛成する人間は『華氏451』の世界を笑うことはできない。
この事態を招いたのは、漫画・アニメ業界の脇の甘さにもある。一般誌での表現の限界を超えた作品など、「表現の自由」という印籠に頼り過ぎて自浄努力を怠っていたのは確かだ。ご覧のように印籠の通じない悪代官もいるのだから。
今現在放送中の『ヨスガノソラ』などかなり擁護しにくい。ひと昔前ならくりぃむレモン等の18禁OVAでやっていたレベルであり、エロ要素の少ない同『なりすスクランブル』辺りを越えていると言っても過言ではない(例えが古いのはご勘弁)。それを深夜枠とはいえ公共の電波で流してしまっているのは感覚の麻痺と言わざるを得ない。
だが、しかし──
漫画・アニメは誰のものか。
子供向けとして生まれたものが成長発展を繰り返し、今は大人も楽しむ娯楽としてのクオリティを得た。だからこそMANGA・ANIMEとして海外でも人気を博した。まさか東京都はサザエさんやアンパンマンが世界で人気だと思っているわけでもなかろう。
東京国際アニメフェア
http://www.tokyoanime.jp/ja/info/greeting/
仮にも表現者だった人間が、今や表現の規制という言葉狩りを行なおうとしている──このことだけでも表現の線引きを誰かが決める危うさを端的に表していると思う。
小説が条例対象外なのは「小説は読む人によって様々な理解があるが、漫画やアニメは誰が見ても読んでも同じ理解しかできないから」だという。この言葉には漫画・アニメ業界だけでなく創作に関わる全ての人間が怒るべきだ。
漫画にもアニメにも物語があり演出があり芝居がある。そこには行間もあり、受け手の経験が解釈を様々とする。子供の頃には気付かなかった部分を大人になってから理解するなんてよくある話。先に挙げたアンパンマンでさえ子供と大人では解釈が変わる。
アニメ映画と実写映画に差はない。それぞれの中で子供向け、大人向けがあるだけだ。そして世にある映画全てが画一の感想しか出てこないというのなら賛否両論など存在しない。
都条例改正問題 12/9都議会 総務委員会レポート
http://togetter.com/li/77163
世界は不揃いだから面白い。
それは人が不揃いだから。
決してなだらかな円にはならない。
※今回は漫画・アニメ中心で語りましたが、条例にはゲームも含まれています。ゲーム業界はZ区分(18禁)陳列を徹底しているにも関わらず、です。この点だけを見ても条例を作る側がいかに実情を省みず、凝り固まった偏見だけで物事を運ぼうとしているかが分かるというものです。
私は反対派。
とはいえ水戸黄門の印籠のように「表現の自由の侵害」で押し通すつもりはない。
18禁漫画は現行法内できちんと区分販売できるのに、どうしてわざわざ表現の範囲を公権に寄る誰かの主観で決められなければならないのか、と思うからである。
先日の記事でSF映画『華氏451』を挙げたが、果たして都の条例案に賛成する人間はこの映画を見てどう思うだろう。
主人公が妻の友人たちに苛立ち、小説を朗読する場面。
その文言で感情を揺さぶられる者が出ると彼女たちはこう言う。
「人生は小説と違う
涙を誘ったり死を招くなんて
小説は最低!」
「たくさんの言葉が全て下らない
邪悪な言葉は人を傷つけるのよ!」
ここで描かれる異常な世界を現実に作らんとしているのが今回の条例案だ。それでも「映画とは違う。我々は有害なものを排しようとしているのだから間違っていない」とでも言うだろうか。
この場面で披露された小説は別にエログロバイオレンスでもなんでもない。一人の男が弱りゆく妻への想いを綴った内容でしかない。しかし、劇中の人間はそれを拒絶する。なぜなら免疫がないからだ。
同じものを見聞きしても、それを理解する者、理解できない者、拒絶する者、何も感じない者など様々いるのは、それまでに経験し学んだ人生が違うからに他ならない。
世界は玉石混淆。光もあれば闇もある。それを認めた上でその世界で生きる子供を育てるのが親の仕事。漫画・アニメを健全という名の無菌室にしても世界は綺麗にならない、とクサいことも言いたくなる。
「心身共に健やかに育って欲しい」と偉い大人は言うが、ならば当の大人は健全なのか。邪さを備えること(内包すること)が大人になることではないのか。
健全な環境で子供は育つかもしれないが大人には成長しない。
子供は親の目の外で成長する。
言い換えるなら「免疫が付く」のだ。
今回、漫画・アニメだけが標的となって小説や実写は除かれているが、実写に関しては「(AV)業界は自浄作用が働いているから」という理由らしい。だけどそれはクリエイティブな部分ではなく販路の問題が主だと思う。
AV業界は販売・レンタル共に18禁コーナーを隔離することで低年齢の子供が容易に接することができない環境となっている(※中高生は"当人の意思"によりその限りではない)が、漫画・アニメではそれが徹底されていないことが問題と言える。
なので本来であれば「発売元へのレーティング指導」「書店・販売店への販売コーナー区分の指導」へと動くのが妥当なのだが、条例はなぜか表現規制に矛先が向いている。このすり替えに違和感を覚えない人間は正直危うい。
今回の条例案に諸手を上げて賛成する人間は『華氏451』の世界を笑うことはできない。
この事態を招いたのは、漫画・アニメ業界の脇の甘さにもある。一般誌での表現の限界を超えた作品など、「表現の自由」という印籠に頼り過ぎて自浄努力を怠っていたのは確かだ。ご覧のように印籠の通じない悪代官もいるのだから。
今現在放送中の『ヨスガノソラ』などかなり擁護しにくい。ひと昔前ならくりぃむレモン等の18禁OVAでやっていたレベルであり、エロ要素の少ない同『なりすスクランブル』辺りを越えていると言っても過言ではない(例えが古いのはご勘弁)。それを深夜枠とはいえ公共の電波で流してしまっているのは感覚の麻痺と言わざるを得ない。
だが、しかし──
漫画・アニメは誰のものか。
子供向けとして生まれたものが成長発展を繰り返し、今は大人も楽しむ娯楽としてのクオリティを得た。だからこそMANGA・ANIMEとして海外でも人気を博した。まさか東京都はサザエさんやアンパンマンが世界で人気だと思っているわけでもなかろう。
東京国際アニメフェア
http://www.tokyoanime.jp/ja/info/greeting/
仮にも表現者だった人間が、今や表現の規制という言葉狩りを行なおうとしている──このことだけでも表現の線引きを誰かが決める危うさを端的に表していると思う。
小説が条例対象外なのは「小説は読む人によって様々な理解があるが、漫画やアニメは誰が見ても読んでも同じ理解しかできないから」だという。この言葉には漫画・アニメ業界だけでなく創作に関わる全ての人間が怒るべきだ。
漫画にもアニメにも物語があり演出があり芝居がある。そこには行間もあり、受け手の経験が解釈を様々とする。子供の頃には気付かなかった部分を大人になってから理解するなんてよくある話。先に挙げたアンパンマンでさえ子供と大人では解釈が変わる。
アニメ映画と実写映画に差はない。それぞれの中で子供向け、大人向けがあるだけだ。そして世にある映画全てが画一の感想しか出てこないというのなら賛否両論など存在しない。
都条例改正問題 12/9都議会 総務委員会レポート
http://togetter.com/li/77163
世界は不揃いだから面白い。
それは人が不揃いだから。
決してなだらかな円にはならない。
※今回は漫画・アニメ中心で語りましたが、条例にはゲームも含まれています。ゲーム業界はZ区分(18禁)陳列を徹底しているにも関わらず、です。この点だけを見ても条例を作る側がいかに実情を省みず、凝り固まった偏見だけで物事を運ぼうとしているかが分かるというものです。
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