今更ながらドラえもん
30周年企画「心に残るお話30」を終え、間髪空けず「30年後ののび太の町」などというつまらない企画を始めたドラえもんにホトホト嫌気がさし、録画しっぱなしになっていた私。
でも、年末に向けてHDDレコーダーの空きを作っておかなければと一念発起して5月中旬からの分を消化中。せっかくなのでいくつか感想を少々。
5月15日「しずかちゃんが消えた!?」
しずかちゃんが5月生まれということでしずかちゃんをメインに据えた話。原作のないアニメオリジナルとしてはまあまあな出来。冒頭、猫に変身したのび太がねずみを退治する場面で、ねずみが無駄に擬人化されていたりするのはどうも好きになれない。
このねずみ、野良猫が餌としてくわえてくるねずみ(の死骸)も同じようにマンガチックに表現されており、"命"の表現として違和感が凄いことになっている。子供向けのつもりなら魚の骨でもくわえさせればよかろうに。
全体的に無駄にリアクションやエピソードを増やしているのが今のドラ。原作や旧作で10分に収まるような話を無駄に引き延ばして20分に水増ししています。
6月19日「雨男はつらいよ」
原作にある話ながら、晴れ女しずかちゃんをどこでもドアでゴルフ場にお風呂ごと呼んだ場面以降は完全なオリジナル。雨の中、接待ゴルフを成功させるために奮起するのび太の父とのび太の感動物語に成り果てました。
確か原作ではお父さんたちは無事に晴れのゴルフを享受したけれど、その裏ではのび太とドラえもんは怒ったしずかちゃんからお風呂のお湯を浴びせられて「こっちはどしゃ降りだ」といったオチだったはず。ところが本作ではのび太らを前にのんびりお風呂に入り続けるしずかちゃんというトンデモ展開だったり。
藤子先生の描く原作は掲載誌的にも数ページの短編であり、その中に面白さを凝縮する演出・間となっています。言わば俳句や川柳のように余分な部分を削ぎ落とした面白さです。ところが今のドラえもんはせっかく削ぎ落とした贅肉を再び付け足すという愚行を行なっているわけです。
そしてアニメオリジナルエピソードとなると途端に"プチ劇場版"としての感動の押し売り話が多くなります。
6月26日「のび太を愛した美少女」
お風呂の日スペシャルと冠しておきながら内容に全くお風呂が関係ない点でまずアウト。話は「ロボ子が愛してる」の焼き直しに『T・Pぼん』のぼんの歴史への影響要素をパクり、中途半端なターミネーターパロをゴテゴテと加味したもの。玄田声でもないし。
未来の犯罪者たちは本気でのび太たちの命を消そうとする展開なのに全体の描写が日常ドラと変わりないなど色々と酷い。最後は身を挺してのび太を守る美少女ロボット・ルリィという死で感動を作る話。まさに劇場でやれと言いたい。
そもそも最初の映画「のび太の恐竜」が通常の1エピソードから話を膨らませて長編として作られたように「ロボ子が愛してる」を膨らませて映画にしてもいいじゃないか。
TV版は「他愛無い日常」、劇場版は「非日常的な冒険」という不文律がわさドラでは完全に壊されてしまった。
それでもそんなドラえもんを子供が楽しんでいるならいいじゃないかという意見もあるとは思う。それはある意味正しい。しかし、今のドラはドラに似た何かでしかなく、ドラえもんの登場人物を使ったただのアニメでしかないとも思うのです。
30周年などと過去の遺産にすがるくらいなら、製作スタッフにはきちんとドラえもんの本質を見極めて欲しい。今のドラえもんで作りきる気概があるなら30周年などと口にして欲しくない。それが往年のファンとしての正直な気持ちです。
でも、年末に向けてHDDレコーダーの空きを作っておかなければと一念発起して5月中旬からの分を消化中。せっかくなのでいくつか感想を少々。
5月15日「しずかちゃんが消えた!?」
しずかちゃんが5月生まれということでしずかちゃんをメインに据えた話。原作のないアニメオリジナルとしてはまあまあな出来。冒頭、猫に変身したのび太がねずみを退治する場面で、ねずみが無駄に擬人化されていたりするのはどうも好きになれない。
このねずみ、野良猫が餌としてくわえてくるねずみ(の死骸)も同じようにマンガチックに表現されており、"命"の表現として違和感が凄いことになっている。子供向けのつもりなら魚の骨でもくわえさせればよかろうに。
全体的に無駄にリアクションやエピソードを増やしているのが今のドラ。原作や旧作で10分に収まるような話を無駄に引き延ばして20分に水増ししています。
6月19日「雨男はつらいよ」
原作にある話ながら、晴れ女しずかちゃんをどこでもドアでゴルフ場にお風呂ごと呼んだ場面以降は完全なオリジナル。雨の中、接待ゴルフを成功させるために奮起するのび太の父とのび太の感動物語に成り果てました。
確か原作ではお父さんたちは無事に晴れのゴルフを享受したけれど、その裏ではのび太とドラえもんは怒ったしずかちゃんからお風呂のお湯を浴びせられて「こっちはどしゃ降りだ」といったオチだったはず。ところが本作ではのび太らを前にのんびりお風呂に入り続けるしずかちゃんというトンデモ展開だったり。
藤子先生の描く原作は掲載誌的にも数ページの短編であり、その中に面白さを凝縮する演出・間となっています。言わば俳句や川柳のように余分な部分を削ぎ落とした面白さです。ところが今のドラえもんはせっかく削ぎ落とした贅肉を再び付け足すという愚行を行なっているわけです。
そしてアニメオリジナルエピソードとなると途端に"プチ劇場版"としての感動の押し売り話が多くなります。
6月26日「のび太を愛した美少女」
お風呂の日スペシャルと冠しておきながら内容に全くお風呂が関係ない点でまずアウト。話は「ロボ子が愛してる」の焼き直しに『T・Pぼん』のぼんの歴史への影響要素をパクり、中途半端なターミネーターパロをゴテゴテと加味したもの。玄田声でもないし。
未来の犯罪者たちは本気でのび太たちの命を消そうとする展開なのに全体の描写が日常ドラと変わりないなど色々と酷い。最後は身を挺してのび太を守る美少女ロボット・ルリィという死で感動を作る話。まさに劇場でやれと言いたい。
そもそも最初の映画「のび太の恐竜」が通常の1エピソードから話を膨らませて長編として作られたように「ロボ子が愛してる」を膨らませて映画にしてもいいじゃないか。
TV版は「他愛無い日常」、劇場版は「非日常的な冒険」という不文律がわさドラでは完全に壊されてしまった。
それでもそんなドラえもんを子供が楽しんでいるならいいじゃないかという意見もあるとは思う。それはある意味正しい。しかし、今のドラはドラに似た何かでしかなく、ドラえもんの登場人物を使ったただのアニメでしかないとも思うのです。
30周年などと過去の遺産にすがるくらいなら、製作スタッフにはきちんとドラえもんの本質を見極めて欲しい。今のドラえもんで作りきる気概があるなら30周年などと口にして欲しくない。それが往年のファンとしての正直な気持ちです。
この記事へのコメント
あなたの言いたい事は伝わりましたが、「酷い」などという言い方は正直不快でした。自分はドラえもんファンですが、内容は大方気に入っています。感動する話なのにそんな言い方されると嫌な気分になりますね。「まさに劇場でやれと言いたい」??こういう話も時にはテレビでやるべきだと思いますよ。大山ドラをいつまでも引きずっていないで、水田ドラならではのイメージというのも理解してはどうですか?本当のファンならそれぞれの良さを見出すものじゃないのですか?自分はそう思いますよ。
>名無しさん
5年前の記事にコメントありがとうございます。他のドラえもんの感想を見てもらえばわかると思いますが私はわさドラを全否定してはいませんよ。面白いものは面白いと書いているはずです。感動もそれ自体は否定しません。旧作からして台風のフー子などで大いに泣かされてきています。わさドラの場合はその頻度が多くて飽きることです。私はわさドラを旧作とは作品のスタンスが別物の現代的リメイク作品と認識しています。その上で面白い面白くないと感想を述べているつもりでしたが難しいものですね