パッチギ!
●パッチギ!
監督:
『岸和田少年愚連隊』の若さのほとばしりを『ゲロッパ!』の円熟味で紡いだ最高傑作! 日本人なら全員観ろ!って作品。
劇場で鑑賞した後、感想を書こう書こうと思いつつも今日まで書くタイミングを失していた本作。
それというのも、書こうと思った内容がパンフに寄稿されている山田五郎氏の文章に丸かぶりだったからである。感想書いてからパンフを読めば良かったと嘆いたものだ。
先日、日本アカデミー賞の発表があったことをキッカケにさせてもらって、とにかく書こうと思い立った次第。
この作品を観終わった時、感動を超えた涙を流したのは当然のことだったが、それと同時に自分を恥じた。『シュリ』に始まる数年前からの韓国映画の台頭を「複雑な歴史背景があるから」だと簡単に片付けていた自分を恥じた。なんのことはない、自分の足元をまるで見ていなかったのだ。
在日朝鮮人。
韓国と同等か、いや更に複雑な問題を我が国は抱えていた。
その存在について私は特に偏見を持っているわけでもなかったが、しかし、その本質をも何も理解していなかったのだ。
まさに康介が劇中でキョンジャに問われた「朝鮮人になれる?」の言葉は見事に私の心へのカウンターパンチになった。
本作は懐かしい時代を扱ってはいるが決して懐古趣味ではない。
あの時代にこそ、この問題を提唱する意味があるからだ。
イムジン河。
朝鮮半島を北と南に分断する38度線を北から南に流れる河。
南北分断の悲しみを歌った歌。
ザ・フォーク・クルセダーズが日本語詩をつけて歌った歌。
政治的配慮という名で発売中止されたレコード。
1968年のあの時代だからこそハッキリしていた差別。
現代では忘却の名の下に灰色化されている事実。
今日の北朝鮮問題の影に覆われたこともあって腫物のような扱いになりがちだが、だがしかし本作の青春像はそんな曇りなんてものともしていない。
高校生たちの喧嘩が熱い。今時の若者の心のない暴力とは違う。拳に込めた心の叫び。井筒監督が引き出した若者たちの演技に引き込まれる。こんな映画の撮り方を今、この日本で誰が出来ようか。
それだけに日本アカデミー賞の結果は残念としか言いようがない。それは単に受賞を逃したからではない。好調と言われる日本映画界とは対照的にその内情は淀んでいると感じさせるものだったからだ。
本作が描こうとしたものはそういった淀みと真っ向勝負するものだった。それに答えられない大人たちが現実にそこにいる。せめて私たちは映画のように突っ切っていけるようになろう。いつかイムジン河を越えられるように。
監督:
- 井筒和幸(『ゲロッパ!』)
- 塩谷瞬(『忍風戦隊ハリケンジャー』)
- 沢尻エリカ
- 高岡蒼佑(『バトルロワイヤル』)
- 尾上寛之
- 波岡一喜(『幻星神ジャスティライザー』)
- 楊原京子
- 真木よう子(『THE JUON/呪怨』)
- オダギリジョー(『あずみ』)
- ケンドーコバヤシ
1968年、京都の高校生・康介は親善サッカー試合を申し込みに因縁ある朝鮮高校に行かされることに。その時に音楽室でフルートを吹くキョンジャに一目惚れをするが彼女は朝高の番長・アンソンの妹だった。康介は彼女が吹いていた曲が「イムジン河」という歌だと知ると、朝鮮語の辞書を買い、ギターを必死に練習した。彼女の身内が集まる場に参加した康介はキョンジャと演奏することでその輪に馴染むこともできた。そんなある日、康介はキョンジャに交際を申し込むが、彼女の「もし結婚することになったら朝鮮人になれる?」との問いに思わず言葉を失うのだった……。
『岸和田少年愚連隊』の若さのほとばしりを『ゲロッパ!』の円熟味で紡いだ最高傑作! 日本人なら全員観ろ!って作品。
劇場で鑑賞した後、感想を書こう書こうと思いつつも今日まで書くタイミングを失していた本作。
それというのも、書こうと思った内容がパンフに寄稿されている山田五郎氏の文章に丸かぶりだったからである。感想書いてからパンフを読めば良かったと嘆いたものだ。
先日、日本アカデミー賞の発表があったことをキッカケにさせてもらって、とにかく書こうと思い立った次第。
この作品を観終わった時、感動を超えた涙を流したのは当然のことだったが、それと同時に自分を恥じた。『シュリ』に始まる数年前からの韓国映画の台頭を「複雑な歴史背景があるから」だと簡単に片付けていた自分を恥じた。なんのことはない、自分の足元をまるで見ていなかったのだ。
在日朝鮮人。
韓国と同等か、いや更に複雑な問題を我が国は抱えていた。
その存在について私は特に偏見を持っているわけでもなかったが、しかし、その本質をも何も理解していなかったのだ。
まさに康介が劇中でキョンジャに問われた「朝鮮人になれる?」の言葉は見事に私の心へのカウンターパンチになった。
本作は懐かしい時代を扱ってはいるが決して懐古趣味ではない。
あの時代にこそ、この問題を提唱する意味があるからだ。
イムジン河。
朝鮮半島を北と南に分断する38度線を北から南に流れる河。
南北分断の悲しみを歌った歌。
ザ・フォーク・クルセダーズが日本語詩をつけて歌った歌。
政治的配慮という名で発売中止されたレコード。
1968年のあの時代だからこそハッキリしていた差別。
現代では忘却の名の下に灰色化されている事実。
今日の北朝鮮問題の影に覆われたこともあって腫物のような扱いになりがちだが、だがしかし本作の青春像はそんな曇りなんてものともしていない。
高校生たちの喧嘩が熱い。今時の若者の心のない暴力とは違う。拳に込めた心の叫び。井筒監督が引き出した若者たちの演技に引き込まれる。こんな映画の撮り方を今、この日本で誰が出来ようか。
それだけに日本アカデミー賞の結果は残念としか言いようがない。それは単に受賞を逃したからではない。好調と言われる日本映画界とは対照的にその内情は淀んでいると感じさせるものだったからだ。
本作が描こうとしたものはそういった淀みと真っ向勝負するものだった。それに答えられない大人たちが現実にそこにいる。せめて私たちは映画のように突っ切っていけるようになろう。いつかイムジン河を越えられるように。
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