日本沈没
●日本沈没
監督:
開始30分で飽きた。
やっぱり人間描けてないよ、監督。
単なるシミュレーションムービー。
テレビの災害スペシャル番組の再現ドラマです。
「日本というアイデンティティーを無くした日本人はどう生きるべきなのか?」──掲げるテーマは分かるけど、それだけで評価してしまうなら、そもそも映画なんていらない。映画として面白くなければただの駄作です。
面白いかどうかといってもスペクタルシーンの連続で息をもつかせなければいいかという話でもなく、本作においては主人公らの感情の紡ぎ方が重要なわけで。
柴咲コウの仕草がなってなくて、まるでレスキュー隊員に見えないというのは大問題だけど、もはやそんなことはどうでもいいほどに全ての人間がただの役割人形でしかありません。
以下、ネタバレ注意。
というか、もはやネタバレ無視で書いてます。
小野寺と玲子が出会う地震災害現場で一緒に救出された少女を預かることになる中、小さな地震にも怯える少女を「大丈夫だよ」とやさしく抱きしめる小野寺のくせに、映画終盤に至るまで自分とすぐ近い者の事しか考えようとしないギャップ。
潜水艇パイロット仲間の結城が、田所博士の日本沈没回避計画の話をしても何の興味も示さない。その後も、計画に役立つ力を持っているくせに、街をどれだけの死者が埋め尽くしても自ら行動しない。じれったいを通り越して理解不能です。
そもそも草ナギ剛の思慮深そうなイメージでは無理。もっと性格が軽く見える今時の若者タイプをキャスティングして、結城の年齢設定をもっと完全に先輩パイロットとするのならまだ分かりますがね。
玲子はレスキュー隊員として人助けをしているけれど、実は震災のトラウマを抱えていた反動だったと終盤になって分かります。分かりますが所詮はただの台詞止まり。思い返せば日常でたまに変な表情を見せてましたが、感情の積み重ねがなければ唐突になるだけです。
終盤、そこに至るまでにどうやら2人は惹かれあっていた模様で、それが2人の口をついてやっと出ます。それはいい。でも、その後の小野寺の行動に一貫性がありません。いきなりキスしといて抱かない。男と女が出会えば即Hというハリウッドスタイルもどうかと思いますが、2人は長い時間をかけてそこに辿り着いたんですから抱くべきでしょう。
やっぱ──屋外でいきなりのキス。通じ合う2人の心。場面はテント内に移ってスローモーションでH描写。朝、玲子が目覚めると既に小野寺はいない。玲子の傍には1通の手紙が。思わず飛び出す玲子──の方が自然じゃないかなぁ。
一応、「これからおそらく死ぬであろう自分がこれ以上彼女に何かを残してはいけない」という考え方もあるにはありますけど、それならそれで、それを観客に伝えなければ、それこそ相手の心を慮らない無責任男で終わってしまいます。
ヘリで出発する小野寺の元に駆け付ける玲子。そんな玲子に駆け寄る小野寺。だったら昨晩抱いとけっての。そこで小野寺が振り返らずにヘリに乗り込めばまだ一貫性があったのに。
かと思えば最終的には玲子を振り払うようにヘリに乗り込む小野寺。だからお前はどっちやねん。
その後、玲子は飛び立つヘリをじっと見送り……ません。さっさとバイクに跨がりその場を後にします。玲子の気持ちが私には分かりません。小野寺が「きっと帰ってくる」というスタンスでの出発であれば、玲子は「私は私の出来ることをする」ということでしょうが、実際はそうではないわけで。
あの場面は、バイクが手前を走り奥でヘリが飛び立つカットを1ショットで撮りたかっただけです。パンフを見たら監督は「みんな合成だと思うようですけど本物ですから」と発言してたけど全然思わないって。
監督は「省力化アニメ演出」に染まってます。
田所博士が政府関係者の前で持論を展開し、最終的に部屋を追い出される時、その姿はスクリーンにありません。そうではなく──ジタバタともがく田所をとことん見せて、部屋の扉がバタンと閉まり、その後に権威的な科学者が「やれやれああいう奴は……」などと口にして、それを苦々しく見る元妻の鷹森大臣──というのが必要でしょうに。
田所博士と鷹森大臣が元夫婦という設定が人物描写からは感じられないのも雑というかなんというか。台詞で理解はできるけど元夫婦が醸し出す雰囲気というものが微塵も感じられない。この辺、ハリウッド映画では定番な設定だけに完全に負けてます。
画は作れるけど感情は紡げない系。
ああ、この評価だけはしたくなかったのに。
目立った部分ではテロップ処理がどうにも中途半端な印象。そこだけ妙に浮いてると感じましたが、どうやら1973年版へのリスペクトの模様。あのさ~、そんなことしてる余裕あるの? これからは「木を見て森を見ず演出」とでも呼ぼうかな。
『ローレライ』の感想では「監督の念願」と書きましたが、別に監督は『日本沈没』を手掛けたかったわけではないのかも。あくまで原体験であり、好きな作品だっただけのこと。とはいえ、この企画は樋口監督ありきで逃げようもなかったんでしょうが。
ちなみに私の遠い記憶に──最期、閉じ込められた瓦礫の下で、他の人を救うために主人公1人がガスの溜まった場所で直にライターで火を着ける──という場面があるんですが、これって『地震列島』の方かな? う~ん、さすがに記憶が曖昧ですね。でも、本作のラストってそれを限りなくスケールアップしたものに思えた次第で。
シミュレーションムービーだった本作は最後はいきなり荒唐無稽SFに変貌します。全体的に見れば『ザ・コア』に近い。だったら描けもしない登場人物の内面なんて扱わず、ただひたすらに荒唐無稽SF路線を突っ走れば良かったのに。「T2爆弾」出した時点でアウトでしょ。
大概、出来の悪い映画は途中からはくだらなさに興味がシフトして持続できるんですが、本作はただ退屈なだけ。金返せ。
監督:
- 樋口真嗣(『ローレライ』)
- 小松左京(『さよならジュピター』)
- 草ナギ剛(『黄泉がえり』)
- 柴咲コウ(『県庁の星』)
- 及川光博(『CASSHERN』)
- 豊川悦司(『妖怪大戦争』)
- 大地真央
- 石坂浩二
- 吉田日出子
- 福田麻由子
アメリカ測地学会・コックス博士はシミュレーションの結果、日本が沈没する可能性を示した。日本の寿命は40年。だが、その数字に異を唱える者がいた。地球科学博士・田所雄介。彼のチームが独自に調査した結果は──338.54日。列席の他の科学者らは一笑にふした。しかし現実には予想を上回る被害が起こりはじめるのだった……。
開始30分で飽きた。
やっぱり人間描けてないよ、監督。
単なるシミュレーションムービー。
テレビの災害スペシャル番組の再現ドラマです。
「日本というアイデンティティーを無くした日本人はどう生きるべきなのか?」──掲げるテーマは分かるけど、それだけで評価してしまうなら、そもそも映画なんていらない。映画として面白くなければただの駄作です。
面白いかどうかといってもスペクタルシーンの連続で息をもつかせなければいいかという話でもなく、本作においては主人公らの感情の紡ぎ方が重要なわけで。
柴咲コウの仕草がなってなくて、まるでレスキュー隊員に見えないというのは大問題だけど、もはやそんなことはどうでもいいほどに全ての人間がただの役割人形でしかありません。
以下、ネタバレ注意。
というか、もはやネタバレ無視で書いてます。
小野寺と玲子が出会う地震災害現場で一緒に救出された少女を預かることになる中、小さな地震にも怯える少女を「大丈夫だよ」とやさしく抱きしめる小野寺のくせに、映画終盤に至るまで自分とすぐ近い者の事しか考えようとしないギャップ。
潜水艇パイロット仲間の結城が、田所博士の日本沈没回避計画の話をしても何の興味も示さない。その後も、計画に役立つ力を持っているくせに、街をどれだけの死者が埋め尽くしても自ら行動しない。じれったいを通り越して理解不能です。
そもそも草ナギ剛の思慮深そうなイメージでは無理。もっと性格が軽く見える今時の若者タイプをキャスティングして、結城の年齢設定をもっと完全に先輩パイロットとするのならまだ分かりますがね。
玲子はレスキュー隊員として人助けをしているけれど、実は震災のトラウマを抱えていた反動だったと終盤になって分かります。分かりますが所詮はただの台詞止まり。思い返せば日常でたまに変な表情を見せてましたが、感情の積み重ねがなければ唐突になるだけです。
終盤、そこに至るまでにどうやら2人は惹かれあっていた模様で、それが2人の口をついてやっと出ます。それはいい。でも、その後の小野寺の行動に一貫性がありません。いきなりキスしといて抱かない。男と女が出会えば即Hというハリウッドスタイルもどうかと思いますが、2人は長い時間をかけてそこに辿り着いたんですから抱くべきでしょう。
やっぱ──屋外でいきなりのキス。通じ合う2人の心。場面はテント内に移ってスローモーションでH描写。朝、玲子が目覚めると既に小野寺はいない。玲子の傍には1通の手紙が。思わず飛び出す玲子──の方が自然じゃないかなぁ。
一応、「これからおそらく死ぬであろう自分がこれ以上彼女に何かを残してはいけない」という考え方もあるにはありますけど、それならそれで、それを観客に伝えなければ、それこそ相手の心を慮らない無責任男で終わってしまいます。
ヘリで出発する小野寺の元に駆け付ける玲子。そんな玲子に駆け寄る小野寺。だったら昨晩抱いとけっての。そこで小野寺が振り返らずにヘリに乗り込めばまだ一貫性があったのに。
かと思えば最終的には玲子を振り払うようにヘリに乗り込む小野寺。だからお前はどっちやねん。
その後、玲子は飛び立つヘリをじっと見送り……ません。さっさとバイクに跨がりその場を後にします。玲子の気持ちが私には分かりません。小野寺が「きっと帰ってくる」というスタンスでの出発であれば、玲子は「私は私の出来ることをする」ということでしょうが、実際はそうではないわけで。
あの場面は、バイクが手前を走り奥でヘリが飛び立つカットを1ショットで撮りたかっただけです。パンフを見たら監督は「みんな合成だと思うようですけど本物ですから」と発言してたけど全然思わないって。
監督は「省力化アニメ演出」に染まってます。
田所博士が政府関係者の前で持論を展開し、最終的に部屋を追い出される時、その姿はスクリーンにありません。そうではなく──ジタバタともがく田所をとことん見せて、部屋の扉がバタンと閉まり、その後に権威的な科学者が「やれやれああいう奴は……」などと口にして、それを苦々しく見る元妻の鷹森大臣──というのが必要でしょうに。
田所博士と鷹森大臣が元夫婦という設定が人物描写からは感じられないのも雑というかなんというか。台詞で理解はできるけど元夫婦が醸し出す雰囲気というものが微塵も感じられない。この辺、ハリウッド映画では定番な設定だけに完全に負けてます。
画は作れるけど感情は紡げない系。
ああ、この評価だけはしたくなかったのに。
目立った部分ではテロップ処理がどうにも中途半端な印象。そこだけ妙に浮いてると感じましたが、どうやら1973年版へのリスペクトの模様。あのさ~、そんなことしてる余裕あるの? これからは「木を見て森を見ず演出」とでも呼ぼうかな。
『ローレライ』の感想では「監督の念願」と書きましたが、別に監督は『日本沈没』を手掛けたかったわけではないのかも。あくまで原体験であり、好きな作品だっただけのこと。とはいえ、この企画は樋口監督ありきで逃げようもなかったんでしょうが。
ちなみに私の遠い記憶に──最期、閉じ込められた瓦礫の下で、他の人を救うために主人公1人がガスの溜まった場所で直にライターで火を着ける──という場面があるんですが、これって『地震列島』の方かな? う~ん、さすがに記憶が曖昧ですね。でも、本作のラストってそれを限りなくスケールアップしたものに思えた次第で。
シミュレーションムービーだった本作は最後はいきなり荒唐無稽SFに変貌します。全体的に見れば『ザ・コア』に近い。だったら描けもしない登場人物の内面なんて扱わず、ただひたすらに荒唐無稽SF路線を突っ走れば良かったのに。「T2爆弾」出した時点でアウトでしょ。
大概、出来の悪い映画は途中からはくだらなさに興味がシフトして持続できるんですが、本作はただ退屈なだけ。金返せ。
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